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2020.05.18

謝恩フリーきっぷの思い出

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数日前にTwitterの方で画像ツイートしましたが、部屋掃除の際、ポスターの入った大きな紙筒を押入れから出して、中のポスターをチェックしたところ、国鉄最終日(昭和62年3月31日)限定の「謝恩フリーきっぷ」が出てきました。
この「謝恩フリーきっぷ」は、切符本体とJR発足路線図の大きなポスターがセットになっています。ポスターと一緒に切符を丸めて保存していたため、切符本体も丸まってしまいました。(ポスターの方、捨てようか保存しようか迷ったのですが、結局丸めて紙筒に収め、元のように押入れへ…)
レターケースの下に切符を置いて、真っ直ぐに戻そうとしたのですが、30年以上の丸まりは数日では戻りません。まだ上の写真のような状態です。まあ、当分はレターケースの下に入れておきます。

それにしても懐かしい…。当時、私は大学生でした。
発売日は10日前の3月21日。10万枚限定で、全国の主要駅にそれぞれ枚数が割り当てられて販売。早朝から長蛇の列が出来ていた…そうです。しかし私はたまたま、この日は四国旅行中でした。

  • 3月20日夜:高知から高松行の夜行普通列車に乗車。
  • 3月21日朝:阿波池田駅で下車。駅前では池田高校の選抜高校野球への出陣式をやっていたのが印象に残っています。ここで徳島本線に乗り換えて徳島へ。
  • 10時半頃:徳島到着。発売開始は10時でしたが、徳島駅では30分後でもまだ販売が続いていました。無事に入手…。それ以降、この大きな紙筒を持って四国旅行を続行する羽目になりました。(笑)

そして、いよいよ国鉄最後の日…。ただ、既に30年以上が経過して、この旅の記憶はあちこちで欠落しています。何とか思い出しつつ箇条書きしてみますか…。

  • 午前3時過ぎ:当時の私の最寄り駅は大船駅。大垣夜行(現在のムーンライトながら。当時は名称無しの夜行普通列車でした)の上りが4時前後に発車するという、朝から旅立つには好立地でした。まだ暗い中を大船駅へ行き、謝恩フリーきっぷに入鋏(上の写真の鋏は大船駅のものです)。満員の大垣夜行のデッキに乗り込みました。
  • 朝6時過ぎ:上野駅で東北新幹線に乗ることに…。この日の朝の新幹線は、どの日も謝恩フリーで激混みだった筈ですが、私は座れた記憶があります。どうやら、急遽増発された続行臨時列車に首尾よく乗ることができたようです。
  • 朝9時頃?:福島駅で下車…したのは覚えているのですが、そこから先の記憶が曖昧です。おそらく、奥羽本線(当時は山形新幹線化はしていません)で板谷峠を越えて米沢で下車し、米坂線で日本海側に抜けた筈です。(東北新幹線~在来線~上越新幹線という周遊コースを取ろうと考えた模様)
  • 午後3時頃:米坂線と羽越本線の接続する坂町駅で、接続をかなり長時間待たされた記憶が…。羽越本線に乗り換えて新潟へ。
  • 夕方:新潟から上越新幹線で上野へ。車内の混雑を避けるため、ビュッフェ車で飲食しながら長居していたような気がしますが、これも記憶が曖昧…。ただ、上越国境越えのトンネルの長さが印象に残っています。
  • 夜:上野駅でそれなりに時間があった筈ですが、何をしていたかは不明…。ただ、その夜の急行妙高の自由席に乗るため、長時間ホームで並んでいたのかも知れません。
  • 午後11時過ぎ:急行妙高が上野駅に入線し、無事に座席を確保しました。謝恩フリーきっぷは「4月1日に跨る列車に乗った場合は、その列車の終着駅まで有効」というルールだったので、23時58分発の急行妙高はうってつけでした。
  • 23時58分:急行妙高、まだ発車しません。東海道新幹線が遅れているため、接続を待って発車とのことで…。
  • 4月1日午前0時:国鉄からJRに変わった瞬間、私は上野駅で急行妙高の車内にいました。隣席の見知らぬ乗り鉄ファンと「とうとうJRになってしまいましたね…」「これからJRはどうなるのでしょう…」と会話した覚えがあります。それから十数分後、急行妙高は無事に発車。ともかく眠りにつきました。
  • 午前4時前後?:目が覚めたら上田駅に停まるところでした。ホームを散歩すると、向かい側に停車中の115系電車に大きなJRマークが既に貼られていました…。「何だか不格好だなあ」というのが第一印象。当時の車体のJRマーク、デザイン性を考えずにやたら大きかったものです。
  • 午前5時過ぎ:長野駅に定刻に到着。ここで謝恩フリーきっぷの効力はおしまいです。帰路のため、青春18きっぷを一枚用意してあります。
  • 午前中:長野への往路は信越線だったので、復路は中央本線にしました。長野から松本、諏訪、甲府へと、普通列車を乗り継いでの帰り道…。
  • 昼頃?:大月駅まで来たところで、ちょっと気まぐれを起こしました。富士急行に乗り換えて河口湖へ。そして御殿場行きのバスに乗り換えました。
  • 夕暮れ:御殿場駅でバスから御殿場線に乗り換えたときは、既に夕闇迫る時間だったような記憶があります。なぜ御殿場を経由しようと思ったのかな…もしかすると、「せっかくのJR初日だから」JRを2社乗ってみたかったのかも知れません(信越本線や中央本線はJR東日本ですが、御殿場線はJR東海なので)。
  • 夜:国府津で初めてのJR境界越えを体験。といってもあまり大した変化はありません。東海道線に乗り換えて大船へと急ぎ、帰宅しました。

…こうして振り返ってみると、なかなか妙なルートの旅行をしたものです。
懐かしいな…あれから三十数年が経過したとは、ちょっと信じられないような気もします。

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