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2024.06.02

1986年春の鉄道旅行記が出てきた

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実家に帰って過ごした週末。今朝は実家の(元)自分の部屋で目が覚めました。実家ではやっぱり、「実家の布団だからこそ取れる疲れ」と「実家の布団だからこそ溜まる疲れ」の両方が存在するような気がします。ともあれ、それなりに身体をリフレッシュできました。
週末の実家帰りの目的は、自分の部屋の整理と掃除です。今日は古紙の分別と袋詰めを重点的に行うことにしました。押し入れの中には、まだ整理できていない古い段ボール箱が3つほど残っています。

段ボール箱を1つ開けてみたら、中には大学時代のプリントやレポート類がぎっしり詰まっていました。懐かしい思い出ではありますが、数十年前のものですし、さすがに保存しておくようなものではありません。内容をチェックしながら古紙回収袋に入れていきます。
しかし、そんなプリントやレポートに混ざって、授業と関係のないノートが何冊か見つかりました。高校時代や大学時代の鉄道旅行の記録です。おお、これは捨てるわけにはいきません。
特に、表紙が無くなっている薄手のノートは、3月に鉄道で稚内まで旅行したときの記録でした。日付と曜日は書いてありますが年が書いてありません。この旅行は1986年頃だった筈…調べてみたら、3月20日が木曜日なのは確かに1986年でした。高校を卒業して大学に入る直前の春休み、まだJRになる以前の国鉄時代で、青森から函館には青函連絡船で渡ったものです。
写真は残っていませんでしたが、同じ段ボール箱から駅弁の包み紙が出てきました。

それにしても、このノートの文字、今の自分の字に似ているけれども今よりずっと読みやすいです。「もしかして友人からの預かり物?」と一瞬思ってしまうほどでしたが、中身を読んでみたら確かに自分の旅行でした。
旅行中に書いたわけではなく、どこかの同人誌(コピー誌)に寄港するために清書したノートのようです。それでも、今より上手な字を見ると「やはりパソコンやワープロの使い過ぎで文字の手書きが減って、字が下手になってしまったかな…」という気がします(苦笑)。

さて、これはどうしましょうか…。
何だかパソコンで文字起こしして、ネットに公開してみたい気はします…。今時の文字起こしアプリは優秀ですし、そんなに手間ではないでしょう。80年代の鉄道旅行の雰囲気が伝わるかも知れません。
とりあえず今夜は、各章の表題(各列車の情報)をリストに書き出してみることにしますか…。出発駅は当時住んでいた家の最寄り駅、大船駅です。大垣夜行(後のムーンライトながら)の上りが停車する駅(午前3時51分に発車)なので、北に向かう旅行では重宝したものです。

  1. 普通340M 大船3:51→東京4:39
  2. 京浜東北線 東京→上野
  3. 普通421M 上野5:06→平8:36 (現在のいわき駅)
  4. 普通235M 平9:00→仙台12:15
  5. 普通1427M 仙台12:23→利府12:39 (一ノ関行きの発車まで時間があったので利府に立ち寄ってみた)
  6. 普通1430M 利府12:53→岩切13:00
  7. 普通533M 岩切13:12→一ノ関14:43
  8. 普通1539列車 一ノ関14:52→盛岡16:31 (50系客車)
  9. 普通539列車 盛岡16:42→青森20:49 (12系客車)
  10. 青函連絡船1便 青森0:30→函館4:25 (八甲田丸)
  11. 特急「北斗1号」 函館4:50→森5:29 (次の43列車が森始発だったので特急で繋いだ)
  12. 普通43列車 森6:36→札幌13:11 (旧型客車による長距離鈍行)
  13. 札幌市電と地下鉄の乗りつぶし(札幌→大通→すすきの→真駒内→麻生→大通→琴似→新さっぽろ)
  14. 普通767M 新札幌18:09→札幌18:23
  15. 急行「利尻」札幌21:20→稚内6:00 (寝台車利用)
  16. 普通742D 稚内7:57→声問8:12 (宗谷岬行きのバス代節約のため、声問まで列車で移動)
  17. 宗谷バス 声問駅前→宗谷岬

いやはや、旅程をリストにしてみると、我ながら凄い旅行をしたものです。
当時の北海道での乗り鉄の定番「北海道ワイド周遊券」を使ったと書かれています。これは北海道内は特急自由席も乗り放題ですが、北海道までの往復は特急料金別払いなので、青森まではとにかく普通列車で行ってみた…と記憶しています。
(既に青春18きっぷはありましたが、このときは使いませんでした)
旅行記ノートは宗谷岬到着までで終わっていて、それ以降の記録は残っていません(押し入れからまだ見つけていないだけかも)。ただ、稚内に戻った後は天北線急行「天北」で名寄まで行って、名寄本線で網走に抜けたような覚えが微かにあります。

…こうして書いていると、少しずつ記憶が蘇ってきました。常磐線の普通列車、横風の強い日で風の音が強かったな…。駅弁では一ノ関駅弁の「かにめし」は覚えてないけど、八戸駅弁「小唄寿司」は少し記憶に残っています。そして青函連絡船の広々とした待合室、既に連絡船の乗客も少なくなっていた時代でした。
森駅から札幌駅までの旧型客車列車、あれは今思うと貴重な体験だったとおもいます。出来ればもう一度乗りたいな…。

ともあれ、これからOCRアプリを探して、本文の文字起こしを試してみたいと思います。

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