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2024.06.04

1986年3月・宗谷岬への鉄道旅行記(全文)

おとといの実家帰り&部屋整理のとき、押し入れで見つけた北海道旅行記。その後スマホのOCRアプリに課金して、一通りの文字起こしを終えました。

改めて読んでみると、やはり当時の自分の文章、硬いところがあって少々恥ずかしいものです。
それでも、当時の鉄道旅行の雰囲気が、読者の皆様にも多少は伝わるかも知れません。やはりネット上に公開してみることにしました。

ちなみに、銀山駅のところには、次の図が描かれていました。

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ディーゼル機関車を先頭に8両編成の列車が下りホームに停車。しかしこの駅には跨線橋も地下道も無く、下りホームから駅舎に行くには線路を渡らなければなりません。
ホームからはみ出して停車し、立ちはだかる列車。しかし、この列車は旧型客車で手動ドアでした。回送車両の客車のデッキを通って、反対側のドアから線路に降りて横断、そして無事に駅舎に辿り着いた…というわけです。
現在の常識では考えられないことですが、当時は普通の…いや、当時でもかなり驚きの扱いだったような気がします。

それでは、旅行記の本文は、この記事の「追記」欄に載せてみたいと思います。(「続きを読む」のリンクをクリックすると読めます)


3/20(木)(1日目)

(1) 340M 大船351→東京4:39
大垣から走ってきた夜行電車なので、車内の空気はよどんでいた。大船は放送もベルもなしに発車し、横浜に着く直前に初めて車内放送が流れた。
東京には定時に到着した。ただちに国電に乗りかえる。

(2) 京浜東北線 東京→上野
ビルの屋上に「6℃」という電光表示があるのを車窓に見た。北海道の寒さに思いをはせる。

(3) 421M 上野5:06→平8:36
上野駅10番ホームへの階段を丁度のぼりきったところで電車のドアが開いた。
上野発車時には車内はガラガラだった。三河島あたりで夜が明け始め、松戸付近まで来るとすっかり明けた。
水戸に近づくにつれ車は混みはじめ、水戸(7:00発)ではさらにたくさん乗って来て満員になったが、日立でほとんど降りてしまった。
平に着いた時、私はかなりの疲労を感じた。先はまだまだ長いのに、こんなところで疲れていては先が思いやられる。

(4) 235M 9:00→仙台 12:15
平駅ホームで「うにめし」(700円)を買い、急行形の電車に乗り込んだ。発車と同時に包みを開いた。
「うにめし」は美味だし、車窓はまずまずだし、なかなか心地よかったのだが、だんだん頭が痛くなってきた。
原ノ町での26分停車の間、ホームを歩いたり駅前に出てみたりしたが、頭痛がなおらない。ここの立食いそば屋で買った「ざるそば」(350円)を車内で食べてみたら、ますます気分が悪くなって来た。
風がかなり強い。電車は横風を受け、車体を横にゆらせながら走る。青函連絡船が欠航しないかと心配になるべきところだが、こう気分が悪くては、それを期待したくなるのも当然であろう。
仙台到着前の車内放送で、仙台12:23発の利府行きが案内される。利府支線に乗る絶好のチャンスではないかと初めて気付く。そこで、電車を降りた後すぐにホームのベンチに落ち着き、時刻表を広げた。
最初の予定では仙台13:02発 一ノ関行き533Mに乗ることになっていたが、12:23発利府行き1427Mは利府12:39着、折返し 1430Mは、利府12:53発で岩切13:00なので533Mに十分間に合うことがわかった。

(5) 1427M 仙台12:23→利府12:39
さっそく乗り込んだ1427Mは急行形の電車で、車内は少し暑かった。かなり混んでいたが、大部分の乗客は岩切までに下車してしまった。しかし、利府まで乗る客も意外に多い。

① 利府 12:39~12:53
滞在時間が短いので、駅からそれほど離れるわけにはいかなかった。木造駅舎やこぢんまりとした駅前広場、古びた感じの駅前通りなど、廃止された東武熊谷線の妻沼駅によく似ていた。
駅構内は広く、何本も側線があり、休車の食堂車が留置されていた。ホームは一面一線しかなく、しかもえらく低い。この低いホームから電車を間近に見ると、非常に巨大に見える。

(6) 1430M 利府12:53→岩切13:00
ガラガラの状態で利府を発車した。岩切で下車し、標示に従ってホームを移動し、寒風吹くホームの上に立ちつくして533Mを待った。頭はまだ痛い。

(7) 533M 岩切13:12→一ノ関 14:43
やってきた電車は寝台電車改造の715系電車だった。話には聞いていたが、確かにすさまじい電車である。
車内は混んでいて、私は通路に立ちっぱなしだったが、一駅ごとに空いてゆき、小牛田でついにワンボックスを確保できた。ボックス席は広々としており、心地よい。
ドアは折り戸になっている。横風に押されて1/4ほど開いてしまっている。外の風はかなり強いようだ。
一ノ関のホームに降りた私は、ホームの駅弁屋で「かにめし」(600円)を買ってから、ホームを移動した。

(8) 1539列車 一ノ関14:52→盛岡16:31
赤い車体の50系一般形客車に乗り込んだが、なかなか発車しない。車内放送によると新幹線が遅れており、接続待ちのため発車が遅れるとのこと。風の影響らしい。
結局5分遅れで発車した。外は雨がぱらぱらと降っている。かにめしを食べながら外の景色をながめていると、やっと汽車旅の気分になってくる。頭痛もおさまってきた。どうやら久しぶりの汽車旅に対して体が拒否反応をおこしていたらしい。
もし晴れていれば、花巻で下車して夕暮れのイギリス海岸に行ってみようと思っていたのだが、雨なので中止。
終着の盛岡で下車して連絡橋を渡るとき、「はつかり15号」の列車案内表示が目につく。少し心が動いたが、予定通り普通列車に乗ることにした。

(9) 539列車 盛岡16:42→青森20:49
ホームに使っていたのは、12系急行形客車の普通列車用改造車だった。白帯が消され真っ青に塗られた12系客車は、少し気味が悪い。車内は一部分ロングシート化され、吊輪がぶらさがっている。
まだ新幹線は遅れが回復していないようで、接続待ちのため発車が10分遅れた。
車内では、浅虫まで行くという大学生と乗り合わせた。やはり私と同じように、421M~235M~133M~1539列車と、上野から乗り継いで来たそうである。こんな気狂いじみた普通列車乗り継ぎをしているのは私だけではないかと思っていたのだが、やはり仲間はいたのである。他にも二、三人いるのではないだろうか。
八戸で「はつかり17号」に追い抜かれる。停車中にホームの売店で「小唄寿司」(800円)を買った。初日からどうも金を使いすぎている。これからは倹約しようと思う。
もう外は真っ暗で、雪はかなり積もっていた。野辺地で目をこらして南部縦貫鉄道のホームを見たが、レールバスはいなかった。「南部縦貫鉄道の連絡は翌朝になります」との車内放送。
浅虫で例の大学生は下車した。いよいよ青森だとの期待がわいてくる。連絡船はどうやら動いているらしい。体調はまだ完全によくなってはいない。
青森には結局10分遅れのまま到着した。

② 青森 21:00~
途中下車して町を歩いてみようかと思っていたのだが、ホームに立つと足が自然に連絡船乗り場に向かってしまう。
待合室はかなり広かった。売店や軽食堂やそば屋などが並んでいるが、倹約を心に決めたので何も食べない。フィルムを一本買ってカメラにつめておく。
3時間の待ち時間は長かった。ベンチに横になったが眠れない。ここで眠ると船の中で眠れなくなるので、あまり眠るわけにもいかない。こんな夜中に町に出ても仕方がないので、待合室に居つづけるが、時計の針は進むのが遅い。
それでも何とか、時は過ぎ、待合室の窓に船の姿が見えてきた。23:30に24便「八甲田丸」が到着。これが折り返し1便となるので、さっそく乗船の列が出来た。
列の先頭から10番目くらいの所に並んで乗船を待つうち、時計の針が午前0時をさし、日付が変わった。


3/21(金)(2日目)

(10) 青函1便 青森0:30→函館4:25
係員に乗船名簿を渡して、タラップを渡って「八甲田丸」に乗り込む。右舷前方のジュウタン敷きの船室に陣取り、横になったが混んでいて足を伸ばせない。
ドラの音と「ほたるの光」に送られて青森を出港した。船内放送によると、今日の海峡は少し波がある程度だという。
眠りにつこうとしたが、足を伸ばせないためよく眠れない。一時間半ほど眠ったところで目が覚めてしまった。
もう眠れなくなり、少し揺れる通路を歩いてシャワー室に向かった。心ゆくまでシャワーを浴びた後、暗いデッキを散歩すると、眠気が去って行った。
船室に戻り、横になる気になれないので座りこんだまま、函館到着を待った。「谷山浩子のオールナイト」をきこうとラジオを取り出したが、安物で感度が悪く、何も聞こえなかった。
船内に小鳥のさえずりが流れ、船内放送が函館到着を告げると、通路にたちまち下船の行列が出来た。私も列に加わったが、列はなかなか進まない。やっとタラップを渡ると、ホームへの連絡通路も大変な混雑だった。

(11) 1D「北斗1号」函館4:50→森5:29
函館駅ホームはそれほど混んでいなかった。いよいよ北海道だと思いながら、「北斗1号」の自由席車に乗り込んだ。
自由席車は立客がいるほど混んでいたが、一人旅らしい人が通路側の席にバッグをのせていたので「ここ空いてますか」とたずねたら、うまくすわることが出来た。
あとで知ったのだが、この「北斗」が函館を発車するころ、ちょうどラジオの「オールナイトニッポン」で、浩子さんが「谷山浩子の担当は今度の4月第一週で終わります」と宣言していたそうである。4年間もよく続いたものだと思うが、なんともさびしいことである。
森では私の他、レールファンらしき人が数人下車した。

③ 森 5:29~6:36
朝が早すぎるし、外は小雨が降っているので、町を歩く気にはなれない。駅前に出る程度にとどめ、早々に待合室に引き返す。
レールファンらしき二人組が時刻表を見ている。どうも瀬棚線に乗るらしい。確かに43列車で国縫まで行き、国縫7:57発の瀬棚行きに乗れば時間のロス少なく瀬棚線に乗ることできる。しかし私は予定通り43列車に札幌まで乗り通すことにした。
「いかめし」はキヨスクに置いてあるそうだが、朝が早くてまだ開いていなかった。

(12) 43列車 森6:36→札幌13:11
この43列車は、本来は函館5:42発苗穂行の荷物列車である。この荷物列車に客車をつなげて、森~札幌間で客扱いをしている訳である。函館から乗せてくれるとありがたいのだが、残念ながら森からでないと乗せてもらえない。函館~森間で「北斗1号」に乗ったのはそのためである。
森駅のホームに入って来た列車は、DD51形機関車を先頭に、客車4両、荷物車4両の順につながっていた。4両の客車のうち前寄りの2両は回送扱いなので、3両目に乗った。
客車は旧形客車である。車内の雰囲気は古めかしく、落ち着いている。最近旧形客車は急速に減少しており、乗るのはもうこれが最後になるに違いない。
ガラガラの状態で森を発車し、内浦湾沿いに各駅に停まながら走って行く。空はどんよりとしており、非電化複線の線路はぬれていた。
国縫で瀬棚線のディーゼルカーと並んだ。長万部へ通学するらしい小学生が数人乗り込んだ。
長万部到着直前、線路ぎわに「東京理科大学誘致決定」の立て看板があった。びっくりした。なぜこんな所に理科大が未るのだろうか、首をかしげざるを得ない。
長万部では18分停車するので、ここで朝食を仕入れなければならない。ホームには何もないので、橋を渡って駅舎に行ったが、駅弁の売店は8時過ぎだというのにまだ閉まったままだった。向かいのキヨスクは開いていたので、サンドイッチを一包み買って列車に戻った。
8:23に長万部を発車すると、列車は雪山の間をぬうように走って行く。山の景色は雄大だが、行っても行っても真っ白なのであきてくる。しばらくの間、眠ってしまった。
車内は少しずつ混んで来た。おばあさんが多い。駅に着いてはのんびりと降りて、のんびりと乗り込んで来る。なんとものどかである。やっと連休初日の列車らしくなって来た。外は雪に変っている。
倶知安10:25着。13分停車の間にホームの立食いそばを食べた。胆振線の列車が到着し、レールファンが数人乗り込んで来た。
銀山でも上り列車とのすれちがいのため数分停車する。ホームを散歩していると、機関車のそばで車掌と、ファンらしき二人が話をしていた。「停車時間中に駅舎に行きたいのだが、向かい側にあるので線路を渡らないと行けない。しかしこの列車が線路をふさいでいて渡れない。なんとかならないだろうか」といったことを話していたらしく、車掌は一両目の客(回送車)のデッキに二人を案内した。私もついて行ってみる。デッキを通って反対側に飛び降り、上り側の線路を渡って上りホームにあがり、駅舎にたどりついたが、スタンプも置いてなく入場券も売っていない。がっかりしながら同じコースを通って下りホームに移り、席にもどった。雪まみれになった。
小樽では14分停車。乗客は半分程度が入れかわった。12:07着で12:23発なのだが、12:13小樽発の札幌行きというのが先に出発するので、かなりの人が乗りかえてしまったようだ。私は乗りかえずにこのまま札幌まで乗り通した。
札幌に着いた時、やっと着いた。ついに全部乗り通したという。思いがわいてきた。それとともに、多分旧形客車はもう乗れないだろうという、なんともさびしい気分になってきた。
43列車は客を全部降ろすと、すぐに発車して行った。この列車の本当の終着駅、苗穂は、札幌の次の駅である。

④-1 札幌 13:11~21:20
駅の地下道を通り、改札口を抜け、大した考えもなく前に歩いて行くと、地下鉄の駅に来た。横にコインロッカーがあるので、バッグを放り込んでカギをかけ、町歩き用の手さげ袋ひとつの身軽なかっこうになった。
札幌では半日、時間がある。当初の予定では私は、「アルファ・コンチネンタル・エキスプレス」(以下A・C・Eと略す)に乗ってみることにしていた。A・C・Eは札幌と新得の間を一日一往復しているスキー客専用特別列車である。この列車の上りの千歳空港~札幌間に一般客も乗せてくれるというので、札幌16:07→(2762D)→17:06空港17:14→(A・C・E)→17:51札幌という計画をたてていたのである。ところがさっきの43列車の中で道内時刻表を見たところ、私は考え違いをしていたことに気付いた。私が上りだと思っていた方は(つまり新得→空港→札幌は)下りで、下りだと思っていた方が(札幌11:36→新得14:30)上りだったのである。東京から遠ざかる方向が下りなのだから、考えてみればもっともだが、なんとまぎらわしいことか。43列車の札幌着は13:11なのだから、11:36札幌発に乗れるわけがない。
私はがっかりしていたのだが、そのかわり、時間に気をとられずに市内見物が出来る。雪が降っていて歩くのが面倒なので、市電に乗って町を見物することにした。市電の出発地点は大通なので、地下鉄で一駅乗って大通駅で下車し、市電乗り場をさがしたが、なかなか見つからない。郵便局が目に入ったので旅行貯金をしようと思ったが、祝日で休みだということを思い出した。友人に手紙を書くので、郵便局前にある自動販売機でハガキを買っておく。本当は郵便書簡がほしかったのだが、自販機では買えない上、郵便局が開っているので買いようがない。
やっと乗り場を見付け、止っている電車に乗り込んだ。一番前に陣取って町並を眺めてみたが、なんと整然としていることだろう。まさに現代版平安京である。町内をトコトコと走る電車に乗っていると、なんとも感心せざるを得ない。
日本最長の駅名「西線九条旭山公園通り」に降りてみたが、名前が長い以外別に何ということもない。昼食がまだなので食堂をさがしたが何もないので、次の電車にまた乗り込んだ。
整然とした計画都市の風景に退屈し始めたころ、終着のすすきのに着いた。乗り継ぎ券をもらって地下鉄真駒内行に乗った。札幌地下鉄完乗をすることに決めたのである。
札幌の地下鉄はゴムタイヤ電車だが、特別変わっているわけではない。車両が小ぶりで2両単位になっていることと、線路のかわりにゴムタイヤ用軌道(中央に案内軌条が通っている。)になっていることぐらいか。
すすきの(南北線)真駒内(南北線)麻生(南北線)大通(東西線)琴似(東西線)新さっぽろという順序で、2時間かけて乗り終えた。十字形に伸びている路線は、乗り回る効率がどうも悪くなる。新さっぽろ駅に着いたのは夕方だった。駅構内のラーメン屋で夕食にした後、国鉄新札幌駅から国鉄で札幌駅に引き返すことにした。私の使っているきっぷは北海道内国鉄線乗り放題の北海道ワイドだから、国鉄を使えばタダですむのである。

(13) 767M 新札幌18:09→札幌18:23
新札幌駅のホームは、まるで東急の駅のような明るい印象のホームだが、客は十人ほどしかいない。
やってきた電車は京浜急行色の711系電車である。711系に乗るのはこれが初めてである。ガラガラだった。
もう外は暗く、景色は全く見えないが、退屈するヒマもなく札幌に着いた。

④-1の続き
夜になると、もうあまりすることがない。夕食は食べたし、すすきのに行くわけにもいかない。倹約中なのである。
友人にバターあめを送ることを約束していたので、販売店で小さめの袋入り(500円)を買った。ここから発送できないかとたずねたところ、1200円だという。それも、重量区分10キロ未満の扱いで1200円なのである。たかだか数百グラムのバターあめを送る費用が9キロの重さの荷物を送る費用と同じなのである。ばかばかしくなり、「何で送るのか」とたずねると、クロネコヤマトだという。私は翌日小包にして送ることにして、バターあめを手さげにおさめた。
駅地下街の本屋で時間をつぶした。夜8時頃、地下鉄さっぽろ駅に行き、コインロッカーから荷物を出し、「利尻」乗車の準備を整えた。
まだ発車まで時間があるので、待合室に行ってみた。コインロッカー、ベンチ、テレビなどがあるごく普通の待合室なのだが、なぜか居心地が悪い。改札口からかなり離れているからかもしれない。早々にべンチを立ち、ワイド周遊券を見せて改札口を通った。

(14) 317列車「利尻」札幌21:20→
案内表示に従って4番ホームに出てみると、自由席の乗車位置にはかなりの列が出来ていた。4番線には20:37札幌終着の「ニセコ」の編成がとまっていたが、もうすぐ回送されるに違いない。
私は寝台券を買ってある。急行券込みで6200円もするので、買う時少し迷ったのだが、結局買ってしまった。それにしても、今日の13時半頃に札幌駅みどりの窓口で買ったのに、ちゃんと下段が確保できたのだから、かなり空いているに違いない。
「ニセコ」編成が回送され、入れかわるように「利尻」が入線されて来た。寝台車に乗るのは初めてなので、かなり期待しながら乗り込んだ。2号車1番下段にバッグを置いて座り込んでみると、頭がつかえるものの、なかなか気分が良い。おそらくこの旅一番のぜいたくになるであろう寝台車の中で、しばらく出発前のひとときを過ごした。
札幌で乗った客は、私の向かいの下段に一人いるだけで、私のボックスの中上段は空のままだった。
私は通路側のテーブルをセットし、寝台上に座り込んで、友人あてにハガキを書き始めた。札幌を発車した。 それを同時に字がふるえだしたが、慣れるとちゃんと書けるようになる。数分で苗穂に着き、荷物車連結のため数分停車した。やはり停車中は書くのがラクである。苗穂では客扱いをしないので、乗客の動きはない。
2通書いたところで岩見沢に到着した(22:10)。3通書いたところで切り上げ、私は着替えて毛布をかぶり、読書灯を消した。


3/22(土)(3日目)

(14)の続き → 稚内6:00
南稚内到着10分前の「おはよう放送」で目を覚ました。滝川あたりで私の真上の中段に一人乗って来たことと、旭川あたりで寒さのため目を覚まし、カーディガンをはおって再び眠ったことしか覚えていない。連絡船での寝不足を反映して、かなりぐっすり眠ってしまったようだった。
急いで着替え、カーテンを開けてみると、通路には朝の光がさしこんでいた。外は一面の大雪原だった。通路の補助イスがすでに全部ふさがっていたので、下段にすわりこんだまま、この大雪原をながめていた。
南稚内を出ると、くすんだ町の中を走るようになる。降り支度がすんだころ、列車が稚内に到着した。

⑤-1 稚内 6:00~7:57
改札口を抜けた私は、まっさきにコインロッカーに荷物を放り込んだ。あとで見たら全部使用中になっていたから、この行動は正解だった。
駅を出て、北側へ行く道を進んだ、道にはうっすらと新雪が積もっているが、3月なのでそう極端に寒いわけではない。コートをはおれば十分だし、コートなしでも何とかなる。早朝の稚内でこの程度なら(もちろん氷点下には違いないが)バッグの中の防寒着類はムダな荷物に終わりそうである。
しばらく歩くと海岸に出た。流氷はないが、朝の海の景色は心地よい。右側に行くとドーム式防海堤がある。その向こうには利尻・礼文行フェリーの港があるはずだが、時間の余裕がないので乗るわけにはいかない。
同じ道を引き返し、駅近くの宗谷バスターミナルに寄ってみた。丁度、旭川ゆきバス「わっかない号」が出発するところだったが、数人しか乗っていなかった。宗谷岬行きバスが8:10に出発することを確かめてから、私は少し考えた。稚内駅7:57発、声間行742Dという列車があり、声問着は8:12である。稚内8:10発宗谷岬行きバスは声問駅前を8:33に通るので、声問まで列車で行き(ワイド周遊券なのでタダで乗れる)、声問からバスに乗ればバス代の節約になるのである。
稚内の町をバスから眺めてみたいという気もしたのだが、私はバスターミナルを後にし、駅に移った。ターミナルの向かいに観光協会があったが、まだ開っていた。
駅前に一軒だけ店を開けていた食堂があったので、入って、ほたてラーメンで朝食にした。朝から開いている食堂は少ないのでこれはありがたかった。
待合室に戻り、声問行の改札が始まるのを待った。キヨスクで買った「豊富3.5牛乳」(65円)は、「3.5」だけあって確かにうまかった。

(15) 742D 稚内7:57→声問8:12
改札口前にはかなり長い列が出来ていた。8:07発の急行「宗谷」に乗る人たちであった。さっきの旭川行きバス「わっかない号」がガラガラだったことを思い出すと、国鉄もなかなかがんばっているなと感じる。
声問行の改札が始まったので私はホームにあがり、たった1両のディーゼルカーに乗り込んだ。ホームの向かい側には、さっきまで乗っていた「利尻」編成が車内整備を終え、「宗谷」として発車を待っていた。
ディーゼルカーはキハ22形だった。この旅の間じゅう、これからしょっちゅう乗ることになるが、今回が初乗りである。
声問駅にはすぐ着いた。私は駅を出て、まっすぐ前方に続く道を進んだ。

⑥ 声問⇔宗谷岬 8:12~14:23
駅前の道を百メートルほど進むと、海岸沿いを走る国道に出た。「声問駅前」バス停が立っていて、すでに数人の人たちが集まっていた。やはり私と同じことを考えた人たちらしい。
海の眺めがなかなかよい場所であった。バスが来るまでの間、雪のつもった海岸を歩いてみた。海水に手をつけてみると、やはり冷たかった。
バスに乗り込み、宗谷岬へと向かった。海岸沿いを20分ほど走ると到着である。このバスでやってきた観光客は大体20人くらいだった。

(ここで旅行記は途切れています…続きを書けば良かったなと思います…)

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